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あれは昭和62年か63年かな [想い出]

私が前の会社に入ったのが昭和60年

翌年の昭和61年に金沢転勤

その翌年には金沢営業所の責任者

正式には役職なんてなかったけど

若かったから、そんなの関係ねえ...てな感じで仕事仕事でした。

部下には、と言っても1年後輩でI関さん

二人で北陸三県を暴れまっくてました(朝も昼も夜も)

で、ある日

 機屋(はたやと読む、所謂生地を織る仕事→鶴の恩返しの機織のイメージでそれを機械化)

 で一番札付きの支払い不能者がいて

これを退治しようということになり

地元業者の協力を得て

退治に行った

退治するにも口頭で言っても言うことを聞かないから

機械を止め、生地をカッターで切断し、仕事をできないようにしてやったら

そこの社長が包丁を持ち出してきて

『これで俺を刺せ!』『仕事ができなくなったら死んだも同じだぁ!!』と

喚き散らしながら、俺たちに迫ってきた

よく見たら、ステンレス製のしかも安物の包丁だったため

『これなら大丈夫やわ』と当方は割りと冷静に対処

でも、近所の誰かが、騒ぎを聞きつけ警察に電話

パトカーが来たが民事のため、また血も見なかったため警察は

『穏便にね』と言いながら去っていった

はっきり言って、刺されそうになったのはこっちなので

退散されたら困るんですが....とぶつぶつ

そのときはこんなそんなで機械を引き上げ、周囲の支払い拒否者に対して

いい圧力がかけられあとは割とスムーズに回収できたが

(はっきり言って、無い者からは取れない)

3ヵ月後、その社長は北陸の海岸から変死体(水死体)として揚がったと言う

非常に後味の悪い回収事案でしたが

これをきっかけに私の『関西の帝王』としての金貸し人生が始まった(笑)

 


タグ:金貸し 北陸
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和田なき子


全部ぜ~んぶ吐き出しちゃいなよ?
ココでさ♪
http://rk83pqj.a.hexisag.org/rk83pqj/
by 和田なき子 (2011-09-23 11:46) 

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